【ドラゴンボール】フリーザ編で終わらずに続いて良かったよね?

亀仙人 もうちっとだけ続くんじゃ

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私は生粋のドラゴンボール信者である。
いちばん好きなマンガはと訊かれれば、即座にドラゴンボールと返事をするだろう。

この記事を書いている現在は令和4年、西暦にすると2022年である。
ドラゴンボールの連載がジャンプで始まったのは1984年なので、38年も経っている。
連載時に産まれた子供も、いい歳をしたおっさんになっている。
ちなみに私よりも年上だ。

2ヶ月後には劇場版『ドラゴンボール超 HEROS』が上映される。
前回のブロリーが良すぎたたのと、
ドラゴンボール史上初の、2Dではなくセルルックアニメーションであることもあり若干の不安はあるが、
それでもやはり楽しみである。

「あそこで終わっていれば」という批判は、長期連載の宿命である

「フリーザ編で終わっていれば名作だった」とよく言われるが、
こういった引き伸ばしに対する批判は、長期連休マンガの宿命である。

ワンピースもアラバスタ編で終わっていればとよく言われるが、伏線が全く回収されないまま終わるので、さすがにあそこで終わるのは早すぎると思う。
そもそもワンピースは『ワンピース(ひとつなぎの財宝)』という明確なゴールが決まっているのに対して、ドラゴンボールは行きあたりばったりで物語が進んでいるので、物語の構成自体が違う。
ワンピースは、『ワンピース』にたどり着くまでは、打ち切りにでもならない限り終了しない。

さて、ドラゴンボールでよくある批判が以下のようなものだ。

  • サイヤ人編以降の、戦闘力の過度なインフレ
  • タイトルでもある、ドラゴンボールというアイテムの重要性が薄れた
  • ドラゴンボールというアイテムのパワーアップにより、死という緊張感が無くなった
  • 少年期時代のほうが、冒険している感じがして楽しかった

確かにドラゴンボールは生き返らせるためだけのアイテムになってしまったし、少年期時代のほうが多種多様なキャラクター、たとえばモンスターから占いババのような魔法使い、また土地などもバリエーションに富んでいたとは思う。
そういった意味では、ファンタジックでワクワクさせられる世界観だったとは思う。

ただ連載が進むにつれて物語の題材や本筋が変わっていくのは、週刊連載では仕方がないことだと思う。
特にジャンプはアンケート至上主義なので、ウケが悪ければテコ入れを余儀なくされる。
生き残るためには必要な変化とも言える。
幽遊白書も最初は1話完結型の、どちらかといえばヒューマンドラマに重点を置いた話だったが、バトル物にシフトした。

最初はどこで終わるはずだった?

そもそも制作側は、当初はどこで終わらせるつもりだったのか。
それは第23回天下一武道会でピッコロ(マジュニア)編であることは、以下のコマから判断できる。

 亀仙人 もうちっとだけ続くんじゃ

たった1個のドラゴンボールからすべてが始まりそしてこの世を守ったのです
走馬灯のよう。最終回を予感させる。

おそらくだが、鳥山先生もそろそろ連載を終了したいと編集に打診し終了時期の調整を図っていたが、思いのほか人気が出てしまったために、やめるにやめられなくなったというところだろうか。

サイヤ人編から、完全にシリアスバトル路線に

ピッコロ大魔王編のあたりからシリアスへの変調はみられたが、この後に始まるサイヤ人編から、完全にシリアスバトル路線となった。
余談だが、サイヤ人編からアニメではタイトル末尾に『Z』が付いた。

「子供の頃のほうが面白かった」

ドラゴンボールはサイヤ人編以前と以降に分けて語られることが多い。
子供の頃のほうが面白かったという批判もよく聞く。
これには賛同しかねる。
もちろん少年期もマンガとしては面白い。あくまで青年期(サイヤ人編以降)と比較してである。

そもそもまず男は自分よりも年下だったり、未熟なキャラクターに憧れを抱けないと思う。見下してしまった時点で、感情移入など出来ないのだ。
少年期の悟空は肉体的には強いものの、見た目や精神的には幼い。
人として、男として魅力を感じるのは圧倒的に青年期以降の悟空なのである。

少年期にはなかった圧倒的に強い敵による絶望感。物語の緊張感がまったく違う。
サイヤ人という主人公に明かされる設定や、戦闘力といったオタク的な要素もサイヤ人編以降のほうが豊富であり、ぐっと引き込まれるのである。

「フリーザ編で終わっていれば名作だった」は正しいのか

これは当時担当編集だった鳥嶋氏も、同様の意見のようである。

ついにトリシマ編集長が認めた!「ドラゴンボールはフリーザ編で終わるべきだった」

仮にフリーザ編で終わっていたらどうなっていたのか?
ナメック星でフリーザ撃破後、悟空が無事地球に帰ってきて、宇宙最強は悟空でめでたしといったところだろう。

フリーザ編で終わってしまったら…
ベジータのツンデレが見れない。
ベジットや、ジョン・コナー…ではなくトランスも拝めない。

個人的にドラゴンボールでいちばん感動したのは、悟飯が超サイヤ人2に変身するシーンだ。
16号が破壊されてから悟飯がプッツンする流れは、漫画を読んでいてはじめて鳥肌が立った。
フリーザ編終了論者には、これらが見られなくても良かったのかと問いたい。

コミックスの初版発行部数では、セル編をピークに魔人ブウ編では部数が落ちたと記憶している。
魔人ブウ編では主人公を悟飯にしようとしたが失敗した。この失敗が発行部数減少の原因となったと思われる。

純粋に戦うことが好きな悟空から、戦いに喜びを見いだせない悟飯になれば、作品のテーマ自体が大きく変わる。悟飯が戦うこと自体に苦悩したり、勧善懲悪ものではなくなっていたかもしれないと思っている。
余談だが、悟飯のスクールライフのあたりの話は結構好きだった。スーパーマンよろしく、グレートサイヤマンというヒーローの正体を隠しているのも良かった。

人造人間編からは、ベジータの成長の物語でもある

私がフリーザ編で終わらなくて良かったと思う理由は、ベジータにある。
ドラゴンボールの人気には、ベジータというキャラクターが大きく貢献していると思う。
私も大好きなキャラクターである。

ジャンプのバトル漫画では、ライバルがよく入れ替わる

男塾、北斗の拳、るろうに剣心、幽遊白書…等々、
どの作品も話が進むにつれて、インフレとともにかつてのライバルは影を潜め、新たなライバルが現れる。

ドラゴンボールは、ラディッツ来襲時のピッコロ以外はライバルといえるようなキャラがいなかったように思う。

ベジータはどうだろうか。
原作時点では最後のほうまで噛ませだった感も否めないが、ドラゴンボール超の時点で主人公悟空の永遠のライバルとして君臨している(原作より後の作品を入れて良いか迷ったが、あえて入れる)。
このポジションは今後も揺らぎそうにない。

悟空よりも人間らしいベジータ

悟空といえば純粋で、戦う理由は単純に強い奴と戦いたいというだけである。
いうならばサイコパス、無敵の人である。
いっぽうベジータは悟空に劣っているという苦悩、コンプレックスを抱えている。
その点で悟空よりも感情移入しやすい。
ダウの大冒険のポップがそうだが、主人公が超人的なキャラの場合、ライバルや相棒のポジションのキャラは人間らしく描かれる傾向にある。

人造人間編序盤では、まだ冷酷なサイヤ人の面がキャラクターの大部分を締めているが、物語が進むにつれ徐々に人間らしくなっていく様が見て取れる。
こういった精神面の変化も、ベジータを人間らしく魅せてくれる。

ヤムチャとトランクス ベジータの自爆

魔人ブウ編では敵にあえて洗脳されることで、かつての冷酷な自分を取り戻そうとしたりするなど右往左往するが、最後は家族を想いながら自己犠牲の精神で自爆する。
なお、このときベジータはドラゴンボールで生き返れないということになっている。

ベジータは、魔人ブウ編で悟空の真のライバルとなった

そして極めつけは有名な「お前がナンバーワンだ」である。

ベジータ がんばれカカロット お前がナンバーワンだ

ここでコンプレックスを克服し精神的に飛躍的な成長をみせる。
ライバルである悟空を理解し、そしてありのままの自分を受け入れたのだ。
このシーンを見た私は思った、「ベジータ、お前がナンバーワンだ」と。

以下は通常版にはない完全版の最終話、最後のコマである。

ドラゴンボール完全版の最後のコマ ベジータ

ちなみになぜ加筆修正されたのかは当方分かっておらず。
修正されたのはGT後なので、GTに繋ぐために書き加えたのか?
GTを観ていないので、この部分に関しての鳥山先生の真意はまったく分からないのだが。

悟空を超えることを諦めておらず、また心理的な引け目も感じていない。
コンプレックスの塊で噛ませ犬だったベジータが、悟空の真のライバルになったのだ。

そして超では悟空と拮抗した実力を身につけ、悟空のライバルであり相棒としてのポジションを確固たるものとした。

<補足>
よく考えたら最終話のこのシーン、時系列的には超よりも後なので、物語の整合性を保つために、超ではベジータは悟空に追いつくことはまずないのかも。

【余談】原作終了後のテレビオリジナル版は正直つまらない

批判気味ですが、あしからず。

GT

『ごめんなさい・鳥山先生』こと『GT』は観たことがない。
厳密にいえば最初の数話を観てこれはつまらないと思い、以降観ていない。
機会があれば再チャレンジしてみようと思う。最後まで観れる自信はないが。

ドラゴンボール超だが、劇場版はすべて観ている。
劇場版の出来は素晴らしいと思う。
特にブロリーは若干戦闘シーンが長すぎると感じたが、ストーリーやアニメーションともに劇場版のなかでは過去最高の出来だった。

一方で超のテレビシリーズは未来編から見るのがしんどくなり、宇宙サバイバル編は流し見程度になった。
最終回の悟空とフリーザが共闘したところは良かったかなくらいだ。

未来編の鬱展開はどうかと思ったし、力の大会が始まってからは無駄な引き伸ばしの嵐だった。
人造人間17号が再登場などはかなり期待したが、全体的に脚本がイマイチだと思う。
またハートを飛ばしてくる?デブなど、キャラクターに魅力がなかったのも痛い。
登場人物をもっと絞ったほうが良かったんじゃないかと思っている。ワンピースにも言いたいが、ぽっと出のモブの活躍を見せられても、まったく盛り上がらない。

あと個人的に、身勝手の極意とかいう形態はイケてない。無意識になることで体が勝手に動くんだっけ?あいまい過ぎないか。
それ子供の頃にミスター・ポポに教わらなかったけ?というツッコミが入りそうである。
怒りで覚醒する超サイヤ人のように、明確な変身条件がほしい。見た目もイマイチだ。
劇場版ブロリーで出てこなくて良かったと思った。

それでもドラゴンボールを追い続ける

フリーザ編どころか、原作が終わって数十年たった今も新作が出るドラゴンボール。
鳥山先生監修のもとVジャンプで連載しているようだが、今のところ劇場版以外は興味が湧かない。

しかしテレビシリーズがまた始まれば、とりあえず見てはみるだろうが。
なんだかんだでドラゴンボールから目が離せない。
今後もドラゴンボールを追い続けるだろう。

つらつらとまとまりの内容になってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました。

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