「太っている人は出世しにくい」。
そんな言葉を耳にしたことはないだろうか。
実際、私自身も太った人を見かけると、どこか「自己管理ができていない」「だらしない」という印象を抱いてしまうことがある。
「なぜそうなるまで放置したのか」「食べたいだけ食べているのだろう」と。率直にそう思ってしまうことがある。
ふと振り返ると、過去に出会った太っている人たちに対して、「社交的ではないのかもしれない」といった印象を抱いていた自分に気づかされることがある。
こうした印象はどこからくるのだろうか?実際に話してみると、そうした印象が思い込みであったと気づかされることもある。
それは本当にその人の性格なのか? それとも、私たちの中にある無意識のバイアスがそう思わせていたのだろうか?
果たしてこれは単なる偏見なのか? それとも、現実に根ざした「事実」なのか?
ここでは、あえてこのテーマを深掘りし、「出世と体型」の関係を多角的に検証してみたい。
目次
✅ 肥満=自己管理の欠如という思い込み
体型と性格、あるいは能力の間に本質的な因果関係はないはずだ。
にもかかわらず「太っている=自己管理できていない」というイメージがこれほどまでに根強いのはなぜだろう。
- 遺伝によって太りやすい体質もある
- 睡眠不足や慢性的なストレスによって太りやすくなるホルモン変化もある
- 食の選択肢が限られている経済的環境(フードデザート)も存在する
つまり、太っていることは「自己責任」と断じられるものではない。
とはいえ、私たちはつい外見だけで人を判断してしまいがちだ。
🧑💼 太っていても成功し、かつ知的でポジティブな印象を与える人
ちなみに、あくまで印象の話ではあるが、太っている政治家はなぜか左派に多いように思える。もちろん体系的な調査があるわけではないし、あくまで印象論の域を出ない。だが、こうした“イメージ”の積み重ねが、私たちの無意識のバイアスを形づくっているのかもしれない。
では、現実には太っている成功者は存在しないのか?
しかし、現実にはそうとは限らない。
- 笑点でおなじみの林家たい平も、やや太り気味なものの、清潔感があり、知的な印象を与える
- マツコ・デラックスは、ふくよかな体型を活かしながら、知性と社会的発言力を備え、多くの人に影響を与える存在となっている
- 伊集院光は比較的体格が大きく、豊富な知識と語彙力でラジオやテレビに長年活躍し、文化人としての評価も高い
- ゆりやんレトリィバァは、自身の体型をユーモアと表現力で昇華させ、芸人としてだけでなく海外の舞台にも挑戦し続ける姿勢が知的かつ前向きな印象を与えている
芸能人や芸人が多い傾向にあるが、今後は他分野にも視野を広げ、幅広い分野での事例を積極的に取り上げていく必要がある。
しかし、それでもなお「デブ=出世できない」という印象は根強く残っている。
なぜか?
それは陰口・軽視・嘲笑といった、目に見えにくい攻撃が社会に蔓延しているからだ。
🎭 太っている人が演じさせられる「役割」
テレビドラマやCM、SNSを見てみよう。
- ヒーロー/ヒロインは、基本的に細く整った体型
- 太っている人は「面白枠」「いじられ枠」「脇役」として描かれがち
- モデルやインフルエンサーの体型は細いことが前提
こうした描かれ方は、知らず知らずのうちに「太っていることは悪いこと」「痩せていることが美しい」という価値観を刷り込んでくる。
つまり、「太っている=劣っている」という価値観が、文化的に刷り込まれ、温存されているのだ。
🌀 差別のスパイラルと「自己評価の低下」
太っていることに対して、
- 「自己管理できない」
- 「性格も悪い」
- 「バカにしても構わない」
という風潮があると、本人もそれを察して自信をなくしていく。
そして、自分には出世なんて無理だと諦めてしまう。
つまり、これは一種の“社会がつくり出す自己実現的予言”(周囲の期待や視線が、本人の行動や自己認識を形づくってしまう現象)だ。
✍️ 最後に──見た目で人を判断するのは簡単だ。でも
私たちはつい「見た目」で人を評価してしまう。
太っていれば、だらしない。出世しない。努力しない。
そう思い込んでしまう。
でも、実際にはその背後には多様な背景がある。
ただ「太っている」というだけで、その人の人間性や可能性を否定するのは、あまりに早計だ。
こうした現実がある一方で、結局、このテーマに正解はないのかもしれない。だからこそ、私たちは問い続ける必要がある。
ただ、あなたが人を見た目で判断するとき、
その視線の先には、社会から見えない圧力を受けている誰かがいるかもしれない──。