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こちらの記事の続きです。
損した気分とどう向き合うか
そもそも、「なぜ損をしたと感じるのか」について書く。
プロスペクト理論にあるように、人は得をしたことよりも、損をしたことのほうがより強烈に印象に残る。
損失について考えるのは大切なことと思い、もう少し掘り下げてみる。
損した気分は、予期せぬ損失が発生したときのみ感じる
例えば、「損するかもしれないが、自分への投資」と考えて高額な買い物をしたとする。
これは事前に損失を許容しているので、失敗に終わっても損をしたとは思わないだろう。
むしろチャレンジしたことへの満足感のほうが大きいはずである。
つまり必要となるのは、リスクを予見し、許容しておくことである。
もちろん未来が見えるわけではないので、想定外の事態も起こりうる。
自分が普段どんなことに損をしたと感じるかを、把握しておく必要がある。
金銭的なことは想定しやすい。
- 買った服が、数日後にセールで売られていた
- 家の内装工事をしたが、相場よりも高かったことにあとから気付いた
- 集客を見込んでお店を建てたが、お客さんが来ない
- 買った株が下落した
- プログラミングスクールに通ったたが、結局身につかずに別の職種に就職した
物やお金などの定量化できるもの以外にも、
- 面倒な仕事ばかり押し付けられる
- 職場で、他人のミスを自分のせいにされた
- 結婚相手の両親と同居することになったが、姑(しゅうとめ)がうるさい
など。
俗に言う「損な役回り」というやつである。
これらを「損」と呼んでよいものか迷うが、リスクであるという点でお金などと変わりないのではないか。
また、これらは自ら積極的に選択するものではなく、外的要因で引き起こされる場合がほとんどはあるが、ある程度は想定できるはずである。
自分で選択したものならば、損と感じない
私の身近な例だが、
ある撮影で、今持っているストロボとバッテリで間に合うか不安だったため、これらを買い足した。
結局使わなかったので損をしたが、必要経費だったと考えている。
進学にしてもそうだ。
親や先生の言われるままに学校を選んだのでは、何か問題が起きたときにあのとき自分でちゃんと考えればよかったと後悔することになるだろう。
しかし自分で選んだのであれば、自身が選択したという意識が働いて、多少の問題ならば頑張ってみようという気が起こる。
リスクが自分のキャパシティを超えるのならば、選択しない
いま現在姑とうまくいっていないのに、もしも旦那の両親と同居したらどうなるか?
結果は見えているはずである。
もし想定できるリスクが自分のキャパシティを超えるならば、選択してはならない。
姑と毎日顔を合わせるのは耐えられないならば、絶対に同居してはならない。
もしやむを得ない理由で同居するしかないということになっても、
自分はどこまで許容するのか決めておくべきだ。
株や為替のトレードでいう「損切り」というやつである。
そして許容範囲を超えたなら、別居または離婚を考える。
先のカメラの機材の例ならば、
私ならば赤字になるのなら許容範囲を超えるという判断だ。
まとめ
どんな行動にもリスクが伴う。
人生はトレードのように明確なロスカット(損切り)ラインはないが、
あらかじめ損失を想定しておくことで後悔(損をしたという気持ち)を減らせる。
もしも想定外の損失が出ても、許容範囲を超えるならばスパっと切る。
行動を起こしたこと自分を称賛し、いつも前向きに生きていければよいと願っている。
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